※これは2017年にFacebookに投稿した記事をリライトしたものです。
鈴木 博之
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私は常々、「道場は道の駅」と言ってきた。門下生はずっと稽古を続けるわけではなく、いつかは離れて行く。だって道の駅だから。
道場は道の駅
仙台の鈴木@道場長です。
道場長の仕事って何なのでしょうか?私は「門下生の稽古したいという気持ちに応える」これが仕事だと思っています。逆に「門下生の気持ちに応える」という事ができるならば、段位は関係なく誰でも道場長になれますね。
門下生...
だいぶ前の話だが、ある門下生が離れて行った時のこと。退会の連絡はメールで連絡が来たのだが、その中に
「他道場の批判めいた話になるのが嫌でした」
という一文があって、そう思われていたことに大変驚いた記憶がある。そんなことがあってから、できるだけ他道場の批判になりそうな言葉は使わないようにしてきた。
あれから数年が経ち、ようやく離れて行った門下生の気持ちが分かってきた。私から他道場の批判めいた話を聞いた彼は
「僕が道場から去ったら、僕も先生からこんな風に批判されるんだろうな。」
と思ったのではないのかと。
他者、他流派、他道場、他武道、色々あるけれど、それらの批判を口にすると、確かにその場は盛り上がる。けれども、それを嫌だと思う人もいる。
「それを嫌だ」と思う人は、自然とその集まりから離れて行く。では残った人はどんな人?そう、「それを嫌だ」と思わない人。
外から見たら、その集まりはどう見えるか。トップが他者を批判し、それにウンウンと頷く人たちの集まり。それは新興宗教のような「異様な世界」である。私はそういう集まりを作るのは嫌。だから他者を批判するのは今後一切やめようと思う。
他者を批判しても、自分を高めることはできない。どこまで行っても自分で自分を高めるしかないのだ。
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